Dota 2プロプレイヤーQuinn “Quinn” Callahan選手が引退を発表しました。
引退決断と発表の経緯
Quinn選手は2023年にメジャー大会3連覇を含む最高のシーズンを送りました。
世界一の選手・チームになることが出来ることを証明したあとはモチベーションを失ってしまい、2025年公式世界大会『The International 2025』を最後に引退することを決断しました。
大会がスタートする前に引退発表の動画を収録し、「もし優勝できたら最高の締めくくりだ」と期待を寄せていました。
しかし、『The International 2025』出場を巡って所属する「Gaimin Gladiators」と選手が対立する形となり、最終的に出場辞退の結果となりました。
この流れを知った上で引退発表の動画を見ると、あまりにも悲しすぎます。
Quinn選手の引退発表
やあ、みんな。
タイトルをご覧の通り、引退する事にしました。
選手としての活動は終了です。
驚いた人もいるかもしれませんが、前からずっと考えていました。
ついに引退する時がやってきました。
その理由について説明します。
この動画を見ている人が、一番知りたいことだと思いますので。
これまで『Dota 2』を8~9年くらいプレーしてきました。
この動画は『The International 2025』が始まる前に撮っているので、大会が終わったら9年になると思います。
『Dota 2』は、人生の大部分を占めてきました。
プレー・ゲームについての思考・観戦に費やした時間は数え切れないほどで、本当に人生そのものでした。
動画を撮っている中で感情がこみ上げてきてしまうかもしれません。
どうしようもないことなので、あらかじめそうなるかもしれないことをお伝えしておきます。
自分は『Dota 2』にコミットすることを受け入れていました。
毎日12時間プレーすることも苦ではありませんでした。
なぜなら、目標があったからです。
世界一のMidプレイヤーになりたいと思っていました。
最高のレベルで戦って優勝し、偉大な存在となり、理想としては『The International』でAegis(優勝の盾)を手にしたいと思っていました。
この目標の一部は、幸運にも2023年シーズンに達成することができました。
一時的にでも世界最高のMidプレイヤーでしたし、多くのトーナメントを制し、年間を通じても世界最高のチームでした。
この年のことについては永遠に感謝したいと思っています。
ただ、翌年からは大きなストレスと感情の負担がつきまとうようになりました。
当時は目標があったので、その苦しみにも価値を見いだすことができました。
良い言葉が見つからないのですが、苦しむことに理由を付けられました。
しかし、2024年以降は状況が変わりました。
『The International』優勝以外の目標は達成してしまっていたからです。
この動画が公開されている時には、『The International 2025』で優勝できていると良いのですが。
「自分が最高の選手になれること」「チームが最高になれること」を証明できてしまったと感じていました。
その結果、『Dota 2』のために苦しみに耐え、膨大な時間を費やし、誕生日や結婚式、家族や友人と過ごす時間を犠牲にすることが、価値のあることに思えなくなってしまったのです。
2024年シーズンにこのことを考え続け、2025年を選手として最後の年にしようと決めました。
これが引退を決めた理由です。
信じられないほど長く、充実していて困難な旅でした。
しかし、何事にも代えがたい経験でした。
これまで得られたチャンスに心から感謝しています。
自分の活動において重要な役割を担っていただいた方々に感謝を伝えたいと思います。
いまがあるのは先人達のおかげですし、サポート無しでは何も達成することができませんでした。
まず最初に、ずっと支えてくれた両親に感謝を伝えたいです。
eスポーツにおいては、活動が理解されず支援してもらえないことも多く、サポートしてもらえることが当たり前だと思わないようにしてきました。
私の両親は最高で、常に活動を応援してくれて、あらゆる場面で支えてくれました。
両親がそばにいてくれたことに、とても感謝しています。
Stan KingとRickにも感謝しています。
すばらしい友人でありメンターで、『Dota 2』や人生について多くを学びました。
自分という人間をつくり上げるのを手助けしてくれました。
2人には心から感謝しています
プロチームに加入するよりも前から多くを教えてくれたKitrak、Blitz、BuLba にも感謝しています。
特に、Kitrichとはチームに加入してからも『Dota 2』について語り合い、一緒に学んできました。先人たちの教えがなければ今の自分はありません。
チャンスをくれたOpTic Gaming、そしてOpTic Gamingで一緒にプレーした全ての選手に感謝しています。
OpTic Gamingでの1年間は本当に良い思い出です。
当時はひどいプレーでしたが、チームメイトたちは支えてくれてチャンスをもらいました。この時がキャリアの出発地点だったと思います。当時の経験と、チームメイトたちが私に寄せてくれた信頼にはずっと感謝しています。
アメリカシーンで共に活動したSVG、Jack、YawaR、Mojo、そして○○(※上手く聞き取れず…)にも感謝しています。
YawaRやMojoとは様々なロスターで一緒にプレーしてきました。
長年一緒にプレーして、大きな成功をすることはできませんでしたが、共にした経験や時間には意味と美しさがあると感じています。
お互いに努力し信頼しあってきたことについて、とても感謝しています。
特にAvery(SVG)とJackに感謝しています。
長年にわたって、素晴らしいメンターであり友人でした。
このような仲間がいて、現在につながっています。
旅を共にしてくれたAnton、Ace、tOfu、Seleri、Cy、watson、Maladyには感謝してもしきれません。
一緒に多くのタイトルを手にしました。
自分はGaimin Gladiatorsに入る前、何者でもないプレイヤーでした。
みんなはすばらしいチームメイトで、一緒にプレー出来たことにとても感謝しています。
自分は完璧なチームメイトでも選手でもありませんでしたが、一緒に成し遂げてきました。
今後はどのような結末が待っているかわかりません。
さきほども言ったとおり、これは『The International 2025』の前に録画しています。
もし優勝できていたら、信じられないほど最高です。
激動で美しくすばらしい数年間の完璧な締めくくりとなるでしょう。
もし優勝できなかったとしても、それで良いです。人生は続いていきます。
自分のことを、選手として、チームメイトとして、勝つために必要な血と汗と涙を共にする存在として、信じてくれたことに深く感謝してます。
みんなには本当に感謝しています。
共に過ごした時間をずっと大切にしていきます。
最後に、友人や家族に改めて感謝を伝えたいと思います。
キャリアの大半は結果を残せない時期でしたが、ずっと影で支え続けてくれました。
負けている時でも、励ましてほしい時も、愚痴を聞いて欲しいときでも決して離れずそばにいてくれました。本当にありがとうございました。
最後に、引退後に何をしていくつもりかを話します。
今年、もしくは来年からはタレントとして活動することをメインに考えています。
これからも『Dota 2』関わっていきたいと思います。
引き続きゲームの一部であり続けたいからです。
『Dota 2』は最高のゲームです。このようなすばらしいゲームを作ってくれたValve、IceFrog、そしてゲームに関わるすべてのみなさんに感謝しています。
『Dota 2』は本当に最高のゲームで、美しい芸術作品だと思います。
細部まで芸術的に創り上げられた『Dota 2』の一部になる機会を得られたことについて、心から感謝しています。
今後はタレント業をしながら『Dota 2』のプロレベルガイドを作成していきます。
一般的には知られていない知識や特別な情報を盛り込む予定です。
プロ選手の観点から『Dota 2』を学ぶことに興味があるようでしたら、秘密を隠さず可能な限り詳細に説明していきます。
基本から始めて、マップの動き方に関する判断や、より詳細な内容について進んでいく計画です。基本的に、知っていることのすべてをお伝えします。
Dota 2の完全ガイドを目指しています。
順次リリースしていくつもりですが、最終的にどういう形にしていくかはまだ決めていません。
配信もしていくつもりです。
『Dota 2』をプレーしていきますが、大会に出ることはありません。
改めて、これまでの選手生活に関わっていただいたすべてのみなさんに心から感謝しています。みなさんがいなければ、何も成し遂げることはできませんでした。
光栄で名誉ある時間を過ごすことが出来ました。
応援してくれたファンのみなさん、アンチも含めたすべての人に感謝します。
本当に楽しい活動でした。自分が楽しんだのと同じくらい、クラウンフェスタを見て楽しんでいただけていたらうれしいです。
ということでお別れです。
良い時も悪い時も含めて、本当にありがとうございました。
またお会いしましょう。