Counter-StrikeのレジェンドPatrik “cArn” Sättermon氏が、他界した親友noppo氏との思い出を共有するSNS投稿を行ないました。

※cArn氏は、現在プロeスポーツチーム『Fnatic』の共同オーナー・Chief Gaming Officer

cArn氏のSNS投稿

純也の訃報を知った時に心に押し寄せた感情を言葉で表すことはできません。

純也との友情、共に過ごした時間を永遠に大切にします。
初めて出会った時のことは、まるで昨日のことのように覚えています。

純也は自分たちのチームの元にやってきて、流暢なスウェーデン語で話しかけてくれました。

プロのCounter-Strikeプレイヤーとなる夢を叶えるために、東京からスウェーデンの小さな村にやってきて、大きな一歩を踏み出したのだと説明してくれました。

その日にFacebook、MSN、メールといった連絡先を交換したのかは忘れてしまいましたが、それからもずっと連絡を取り続けてきました。あれから約20年が経ち、純也をいまでも友と呼べることに心から感謝しています。

一番の思い出は、台湾・台北で過ごした時間です。
2人とも選手としてのキャリアを終えて、お互いの道は偶然にも交わり、それぞれ新たな人生の歩み方を模索していました。
※noppoさんは台湾の大学に進学、cArnさんもたしか語学留学していたと記憶しています

純也に直接伝えていなかったかもしれないけど、あの経験を分かち合うことができたのは、自分にとってかけがえのないものでした。

純也は時間厳守が得意じゃなかったけど、ビールを片手に夜の街に繰り出すときは絶対に遅れなかったよね。

来春、共通の知人の結婚式で会うことができるのを楽しみにしていたけど、残念ながら再会は叶わなくなってしまいました。みんなで純也の名前を呼びながら、グラスを空に掲げさせてもらうよ。

優しさ、友情、たくさんの思い出に感謝します。

純也がいなくなってさびしいよ、kungen。

※kungenはスウェーデン語で王様の意味でした。後述しますが、プロになる夢を追いかけてスウェーデンで武者修行をしたnoppoさんは、後にアジア王者となりました。それを評価して「kungen」と書いたのではないかと思います

noppoさんが尊敬する親友cArn

cArnさんとnoppoさんが出会った時のエピソードは、noppoさんからも聞いたことがあります。

スウェーデンは2000年代におけるCounter-Strikeの最強国でした。
当時、日本でCounter-Strikeのプロになることは難しく、noppoさんは大好きなCounter-Strikeのプレーを続けるために、本場のスウェーデンでプロになることを目指しました。

スウェーデンに渡ってからたくさんの苦労があったそうですが、オフライン大会の会場で憧れのcArnさんを目にし、せっかくのチャンスということで勇気をもって話しかけに行ったそうです。

cArnさんは、noppoさんが夢を追いかけてスウェーデンにやってきたこと、さらにスウェーデン語まで話せることに感動し、「日本からこんなすごいやつがきたぞ」とスウェーデンのコミュニティに紹介してくれたそうです。

しかし、スウェーデンのトッププレイヤーは当時別格の存在で、弱小国・日本からきたプレイヤーなどに興味は無く「それがどうした」という感じで相手にもしてもらえなかったそうです。

その中で、cArnさんを含む数名のみが親身になってアドバイスをしてくれたり、同じCounter-Strikeを愛する友人として接してくれたそうです。

noppoさんは当時のことについて本当に恩を感じており、cArnさんはeスポーツシーンで最も尊敬する人物の1人であり、親友だと話してくれました。

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